博多祇園山笠 九番山笠 新天町(2021年)

昭和24年、博多部外の地に山笠が初めて建てられたのが、福岡市中央区天神にある新天町の飾り山笠。公開場所は、地下鉄・天神駅から徒歩3分、西鉄バス・天神コア前バス停から徒歩1分ほど。(下記の地図参照)

博多祇園山笠・新天町の飾り山笠の写真

 飾り山笠 
< 表 >
標題:武勇一筋憐愍涙
ぶゆうひとすじ れんびんの なみだ)

人形師:小副川 太郎

<標題の説明>

今から八百余年前。一の谷の合戦(現神戸市)で平家を破った源義経(よしつね)軍は須磨海岸を追走。その中には武蔵(むさし)国熊谷郷(現埼玉県)の勇将・熊谷直実(くまがいなおざね)がいた。見ると、きらびやかな甲冑(かっちゅう)姿の騎馬武者が一人。敵の大将とみた直実は扇を挙げて『戻られよ』と招いた。武者が応じると、直実はたちまちのうちに組み伏せ首を掻(か)き切ろうと、顔を覗き込む。まだ幼さが残る美少年だった。直実にも同じ年頃の息子がいる。憐憫(れんびん)にかられ、瞬間、逃がそうと思う。が、周りは義経軍でいっぱい。躊躇(ちゅうちょ)していると、覚悟した若武者が『早うやれ』と促す。直実は乱れた心のまま首を落とした。『平家物語』(岩波文庫)は、直実は『さめざめとぞ泣きゐたる』と描写する。これがあって直実はのち出家し、法然(ほうねん)に指示して蓮生(れんせい)坊と称したという。討たれた若武者は平経盛(つねもり)修理太夫(しゅうりだいふ)の末子・敦盛(あつもり)太夫で、十七歳であった。

<写真ギャラリー>

 

<見送り>
標題:サザエさん

人形師:小副川 太郎

<標題の説明>

長谷川町子先生原作「サザエさん」。温かさと楽しさ、そして平和な家族の代表のように誰からも愛され親しまれております。

<写真ギャラリー>

 

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< 地 図 >

  =飾り山笠・新天町の公開場所。