サザエさん通り

福岡市早良区にある”サザエさん通り”を、カメラと一緒に散策。
西新・脇山口からスタートして、シーサイドももち海浜公園が終点。1.6kmの散歩コース。

 

<サザエさん通りの経路>

=西新・脇山口、=シーサイドももち海浜公園
=地下鉄西新駅、=長谷川町子先生とサザエさん像、=元寇防塁跡、=サザエさん発案の地記念碑、=福岡市博物館、=福岡市総合図書館、=福岡タワー

 

<写真ギャラリー>

案内看板の説明文や描かれているサザエさんのマンガはなかなか楽しいです。写真を拡大してもスマホでは厳しいかもしれませんが・・・。

<① 地下鉄西新駅>

散策の前に、地下鉄西新駅に立ち寄る。改札口正面の壁面にサザエさん陶板が設置されている。高取焼味楽窯(筑前黒田藩御用窯)の第十五代 亀井味楽氏が漫画「サザエさん」第1巻の表紙や第1話をモチーフに制作。設置は西新商店街連合会。

 

<A 西新・脇山口>

サザエさん通りの入口にはサザエさんが描かれた大きな案内板が設置されていて、ひとめでわかる。ここから散策スタート。

 

<② 長谷川町子先生とサザエさん像>

修猷館高校の前を通って少し歩く。西南学院大学の前に「長谷川町子先生とサザエさん」の銅像が設置されていた。想像していたよりも大きい。西南学院が創立100週年記念事業の一環として福岡市に寄贈したものらしい(早良区役所Webサイトより)。
長谷川町子さんはキリスト教の信者だったようだし、脇山口のサザエさん看板に描かれた「サザエさんうちあけ話」の1シーン、サザエさんが進駐軍の兵隊を学校の先生宅に”誘導”しているシーンでは、学校名が「西南学院」と書かれている(上の写真)。英語とキリスト教とくれば、福岡では昔から西南学院なんでしょうね。

 

<③ 元寇防塁跡>

ここでサザエさん通りをはずれて、元寇防塁跡に寄り道。

 

<④ サザエさん発案の地記念碑>

サザエさん通りに戻り少し歩くと、サザエさん通りとよかトピア通りの交差点に到着。交差点の南西角に「サザエさん発案の地」記念碑が設置されている。
よかトピア通りは昔の海岸線。周辺は「百道松原」と呼ばれ、博多湾を囲むように松原が形成されていたようだ。

 

(記念碑に書かれている長谷川町子さんの経歴)

 サザエさんの作者、長谷川町子さんは大正9年(1920)佐賀県小城郡の東多久村(現在の多久市)で生まれました。

 炭鉱の技師をしていた父勇吉さんが独立してワイヤーロープの製造業をはじめたのに伴い、一家は福岡市の中心部に近い四十川(現在の渡辺通三丁目)に転居しています。

 自叙伝風に描いたマンガ「サザエさん うちあけ話」の中に、5歳の町子さんが当時の博多駅(現在の出来町公園)近くで迷子になり、昔の県庁(現在のアクロス福岡)前の知人の家まで泣き泣き走ったエピソードが出てきます。

 春吉小学校に在学中は腕白で有名だったようです。昭和5年(1930)に、四十川から西新に引っ越し、県立の福岡女学校(現在の福岡中央高校)に進学しました。

 昭和8年(1933)子煩悩で一家の大黒柱だった父が亡くなりました。母の貞子さんは涙にくれましたが、翌年には三人の娘の才能を伸ばすために上京します。

 ある日軽い気持ちで「田河水泡(当時、「のらくろ」で超売れっ子だったマンガ家)に弟子入りしたいな」と呟いたのを気の早い母に聞かれ、押しかけるように弟子入りを果たします。天才少女マンガ家というふれこみで雑誌に処女作が掲載された時、町子さんは、まだ女学生でした。

 卒業後5年間ほど、主に子ども向けのマンガを描いていましたが、戦時下の東京では生活が難しくなり、昭和19年(1944)に再び福岡市西新の家に戻ることになりました。

 当時、目の前の道路(よかトピア通り)から先は、百道の海岸で、町子さんは妹の洋子さんと散歩しながら、サザエさんの登場人物である「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを発案しました。

 昭和21年(1946)4月22日、西日本新聞から独立したばかりの「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の連載が始まりました。

 福岡の百道の浜で名前を付けられたサザエさんとその家族は、こうして生き生きと動き始めました。

 しかし仕事の上でやはり東京にいる必要を感じた長谷川さん一家は、いったんこの連載を打ち切り昭和21年(1946)の暮に再び一家で上京しました。

 その後、朝日新聞朝刊に「サザエさん」が掲載され全国で親しまれる存在となりました。日曜夕方の定番となったテレビアニメは、毎週3本のペースで昭和44年(1969)スタートから39年たつ現在も放映を続けています。視聴者にとってサザエさん一家は永遠に変わらないお隣さんなのではないでしょうか。

 平成4年(1992)、町子さんは72歳で世を去り、2ヶ月後に漫画家として初の国民栄誉賞が送られました。東京都世田谷区桜新町の「長谷川町子美術館」の陳列スペースの一隅には、金色の記念盾が置かれています。表面に「家庭漫画を通じて戦後の我が国社会に潤いと安らぎを与えた功」と刻まれています。
2008年3月 早良区役所

 

<よかトピア通り>

交差点を左折し、よかトピア通りに沿って歩く。この通りは銀杏並木。歩道は広く、休憩スペースもある。

 

<⑤~⑦ 百道(ももち)エリア>

博物館南口バス停の先の横断歩道を渡る。正面に福岡タワーが見える。広い歩道の両サイドには福岡市博物館と福岡市総合図書館。ここは埋立地なので、長谷川町子さんのいた時代は海の中。

 

<B シーサイドももち海浜公園>

福岡タワーの横を抜けて、シーサイドももち海浜公園入口の階段を上がると、右手の植え込みにサザエさんファミリーが並んでいる。「長谷川町子さんと福岡のつながり」と書かれたボードはなかなか面白い(一番下の写真)。
海側の階段をおりれば、サザエさん通りの終点。陽射しはきつかったが、松の木陰にいると海風が涼しい。のんびり海をながめるのもいい。

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